東田沢の陸上交通は大正時代まで車両の通行困難で、物資の搬送は船舶に頼り人馬の通行は野内畑から福館へ通ずる険しい山道を通る以外になく、従ってそこに「小湊越」という字地名が出来た。海岸線は至るところに難所があって、危険を犯して辛うじて通行したものである。海岸線の道路整備工事が初めて長期計画で実施されたのは大正4年で、大正12年に完工目前大暴風雨で大きな被害を受け遅延。幾度の浸食等で車の通行は危険が多く、夏泊一周道路を県道に認定されたのは昭和8年4月の事である。         ・・・・・・・・・・・・・・・・・(平内町郷土研究会編・平内町道の文化・奥羽街道と脇道)